超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2023.3.6
■「吉野林業と優良材」に学ぶ (72) 間 伐②
―江戸時代における育林技術-
「太山の左知」によれば、嘉永年代(1848~1854年)に「吉野にては山林の伐すかしは抜伐と唱、植つけてより、二十年目位より始め以後七、八年目づづにて抜伐いたし」とある。
なお「元口にて差渡二寸(約6㎝)又は三寸位(約9㎝)に生立たる節いたるもの一本置きにきり、皮をむき吉野丸太と唱へ京、大阪をはじめ所々の大所へ回り能価になるよしなり、三尺(約90.9㎝)置に植たる杉を一本おきに伐ば残の杉は一間おきになる也。五年も過、又一本おきに伐取皮をむき床柱に成也、大所大所へ回り高料になる事なり、比とき残りたる杉二間置に成り、成木を待ち板木になるなり」と述べている。
つまり抜き伐り(間伐)は何らかの基準のもとに行われていた傾向があり、間伐材はその太さに応じてそれぞれ洗い垂木や床柱、長押などを製造し畿内で販売していたようである。
参照:「吉野林業と優良材 (岩水豊 著)」
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こうやって間伐の様々なタイミングにも需要があり、しっかりと収入が得られるのであれば、人は林業に従事し、山には道が整備されていくのは当然です。
しかし現在では、ウッドショックのように急激に若齢級に需要が沸き上がっても、その出材を可能にするための人も足らなければ道もありません。需給バランスを安定させることは非常に困難な道のりですが、こつこつとやれることを積み重ねていくしかありません。