超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2023.3.4
■「吉野林業と優良材」に学ぶ (71) 間 伐①
―江戸時代における育林技術-
江戸時代において間伐は「勝り伐」「間剪」「抜伐」「間引き」などの呼称で各地方で広く行われており、その必要性も十分認識されていたようである。
特に吉野地方の間伐技術は各地に伝えられ、その可否が相当問題とされていたとの記録もある。
そういった事情を背景に記述されたとされる「広益国産考」には、「もはや八、九年になれば、抜伐するが宜し、此伐りたるは棰(垂木=たるき)になる也」として始めの間伐材は棰材に製材するとある。
続いて「十二、三年までの内、追々見計らいて抜伐りすれば残りたる木は二十年も立ば一尺七、八寸(約51.5~54.5㎝)、二尺(約60.6㎝)に廻る。三十年目は二尺五寸(約75.7㎝)より三尺(約90.9㎝)廻りと大体一ヶ年一寸(約3.03㎝)のわりに十ヶ年に一尺(約30.3㎝)廻りづづは成長して五十年目には五、六尺(約151.5~181.8㎝)廻りの材になる也、これは吉野郡の杉作る人よりきく所なり」とあることから、当時における吉野杉の成長量を知ることができる。
参照:「吉野林業と優良材 (岩水豊 著)」
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間伐を繰り返し、若々しい人工林の成長期を見守った最盛期の記述です。当時の活気を取り戻すのは非常に困難ですが、持続可能な人工林サイクルは必ず再構築しなければなりません。