2021.12.30
大滝割滝
雪をかぶってしまった土倉翁の銅像見つめる先は、かつて筏流しの最大の難所と言われた「大滝割滝」です。
川上村では江戸時代から、丸太を川に流して搬出していましたが、一本ずつ流すよりも筏を組んで流せるよう、河川改修の必要がありました。
この割滝は両岸は岩石が重畳し、水勢は極めて強く激流であったため、土倉庄三郎が明治初期に川上郷水陸海路会所を設立し、川幅を広げる工事を行った際に開削されたものと考えられていて、ノミの跡を今も見ることができます。(安全のため、現在は近くまで行くことはできません。)
吉野の奥地から木材を効率的に運ぶために、土倉翁は莫大な私財を投じて、吉野川の改修や道路の建設を積極的に行いました。
これにより、木材の運搬だけでなく、人々の往来や物資の輸送が増え、村民の暮らしも一変したのです。
こうした土倉庄三郎の林業への功績を称え、対岸の鎧掛岩には「土 倉 翁 造 林 頌 徳 記 念」と彫られています。土倉庄三郎の林業を盛んにした努力を永くたたえるという意味です。