超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2021.2.6
■「吉野林業全書」に学ぶ (85) 山川稼人の装束②
労働者の服装は今までは人それぞれであったが、今は筒袖が大流行で、筏乗りなどは一切角袖は着ない。
下衣には白のシャツ、上衣は表が紺で裏は薄色の木綿の筒袖を着る(夏は一重の紺シャツ)。下には、薄色の半股引に紺の一重脚絆を付けた。
中には紺の二重の甲馳(爪型の金具付き)股引を着る者もいる。そして紺の小倉帯を結び、前には紺木綿の腹当を使い、その裏に物入れを作り筏に使う楔(くさび)などを入れた。
弁当は曲物(メンツ)を用いる。ヲチガイという木綿四尺五寸を捻じ縫いにして筒形に仕立てた物に、メンツを入れて腰に結び付ける。
また、乗りヨキという斧は良く磨いておく。これは水中に落とした時に白く光っていればよく見えて、拾い上げるのに便利だからである。
参照:「吉野林業全書」
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筒袖にも歴史があるようでして、近世に労働者の作業着として定着したのが始まりです。明治の中頃に、質素を重んじる教員や生徒の服装として筒袖が推奨され、奈良県でも、明治35年(1902年)の奈良県師範学校女子部創設時に「縞木綿筒袖衣に海老茶袴」が規定され制服として採用されました。
しかし最初の頃は、「あの不細工な筒袖」といって軽蔑されたり大変だったようです。結局、動きやすさなどが認知され一般化していったようですが、いつの時代も日本人らしい反応です・・。