超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2020.11.8
■「吉野林業全書」に学ぶ (59) 樽丸製造の発端と製造方法 ①
吉野の樽丸製造は、享保年間(1716ー36年)に和泉国(大阪府)堺港の商人が、芸州(広島県)の職人を吉野郡黒滝郷鳥住村に連れてきて樽丸を製造したことに始まる。
鳥住村では村人がその製造方法を伝授され盛んに製造を行うようになり、次いで鳥住の人が、川上郷高原村(川上村高原)へ来て製造を始め、以来吉野郡一円に樽丸製造が広まり現在のような(吉野林業全書発刊当時=明治時代末期)隆盛を極めている。
吉野郡における樽丸出荷量の第一位は川上郷である。これに次いで黒滝郷、西奥郷、小川郷となっており、さらには中庄郷、池田郷、竜門郷、天ノ川郷、十津川郷、北山郷からも出荷されて、一年間の平均出荷高は2万駄(1駄=四斗樽桶二個)に及んでいる。
その中でも上等品の多くは川上郷で生産されるのである。
この樽丸は、樹齢80年から100年の杉材で製造するのが最良とされている。その製造方法は夏土用中に伐倒して枝葉を落とさずに、皮だけをはぎ、約3ヶ月乾燥しておく。(先き山という)
そして樹幹の根元から第一の枝のある所までを、丸丈(樽丸の長さ)3~5丈分に大鋸で間切る。そしてこれを集めて1丈を一尺八寸(約54㎝)ごとに小切る。
【備考】
樽丸を製造するにはまず立木の仕分けを行い、杉の目通り直径(目の高さの幹の太さ)の径級と上等・中等・下等に分けられる品質で、得られる四斗樽桶製造の材料を見積もるという記述がありましたが、計算方法や係数は当時の分量単位を用いた複雑な内容のため割愛します。
参照:「吉野林業全書」
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「川上村史 通史編」では、密植・多間伐・長伐期という施業体系を最適の選択とした理由は樽丸生産にあったということでした。
堺泉州の商人が、樽丸用材を求めて吉野へやってくることで、杉の大径木が商品化されることに村民たちに大きな影響を与えたというのです。
商人たちはついには遠方から職人を連れてきて、現地生産も行えるようにしたのですね。経済の流れとしては必然ですが、吉野林業の施業体系を確定させた大きな要因です。