超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2020.4.5
■「川上村史 通史編」に学ぶ (20) 土倉庄三郎と品川弥二郎
土倉庄三郎は、近代日本の経済発展の一端に「林業立国」の精神を位置づけ、各地を啓蒙してやみませんでした。
明治15年(1882年)庄三郎43歳の時に、農商務大輔(次官)品川弥二郎が庄三郎の評判を聞いて川上村大滝を訪れます。品川弥二郎は吉田松陰に教えを受け、高杉晋作らと行動を共にして尊王攘夷運動に奔走した長州藩士でしたが、明治維新後は政治家の中でも最も熱心に林業を広めた人物で、のちに日本山林会長となっています。
庄三郎から杉種・桧種の播植法、苗木の移植、育成枝打ち、出材法、筏流しなどの具体的な体験談を聞いた品川はその内容に深く感銘を受けます。また、庄三郎が自身の提唱した『吉野式密植法』により、杉・檜苗30万本を川上村内数十か所に分けて植付け、国家のために造林に一生を捧げるという凄まじい気迫を語ったことにも大きく感動するのでした。
品川はこの後、成績優良な吉野造林を模範として、中央・地方の財政家などに推奨、講演して歩いたので、土倉庄三郎の名は全国に広まり、川上村大滝は山林経営を目指そうとする者のメッカとなり、多くの人々が訪れるようになりました。
のちに、天竜川流域の植林事業を手掛けた金原明善もそのひとりです。
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝
画像:国立国会図書館デジタルコレクション 電子展示会「近代日本人の肖像」 (品川弥二郎)
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土倉翁を追いかけると、雄大な吉野林業とともに幕末・明治維新の日本の中枢にも大きく関わってきます。
知れば知るほどロマン溢れる人物です。気迫のこもった「吉野林業とは!」を生で聞いてみたかったですね。