超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2020.4.4
■「川上村史 通史編」に学ぶ (19) 土倉庄三郎と広岡浅子
日本女子大学と土倉庄三郎の関係についても、初代校長 成瀬仁蔵との間に結ばれた熱い絆があります。
明治12年(1879年)、成瀬が大阪梅花女学校の教師であったときに、庄三郎がとみ子、まさ子、大糸、小糸、すえ子などの6人の娘の教育を託しています。当時は女学校へ上がるということ自体が珍しく、しかも吉野の山奥から率先して女子を出すということは驚くほどの英断であった時代です。
成瀬はその後、新潟女学校や大阪梅花女学校の校長を経て、明治29年(1896年)に「女子大学創設案」を発表します。
そのとき庄三郎は直ちに賛同し、大阪の広岡浅子も成瀬に紹介するのです。(成瀬仁蔵著書「女子教育」に浅子は大いに感銘を受けます。)
そして庄三郎と浅子は巨額の基本金づくりを計画し、協力して寄付金を募り自らも多額の設立資金を寄付して、日本女子大学創設への協力を惜しみませんでした。
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝
画像:国立国会図書館デジタルコレクション 電子展示会「近代日本人の肖像」 (広岡浅子)
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NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」では工藤徳右衛門という名で庄三郎が描かれていましたが、実名で扱って欲しかったですねえ。
ですが・・・2021年放送予定のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では渋沢栄一が描かれます。
渋沢は、同志社、日本女子大いずれの設立にも同じく関わっています。期待できるでしょうか。