超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2023.8.18
■「吉野林業と優良材」に学ぶ (75) 明治時代の吉野林業②
―明治時代における育林技術-
文禄四年(1595年)以来、吉野川の筏流しに際し、木材の紀伊領内通過に対して課されていた口銀制度(二分口または口前とも言う)が、地元住民の熱心な廃止運動によって明治四年に全廃された。そしてその後は開産金として村、県に納めることになった。
さらに伐木制限としての(※1)留木留山制度や、(※2)地所永代売買禁制が解禁されるなど、林業の発展を抑圧する封建的諸制限の主要なものは、ほとんど解消されるに至った。
※1:特定の樹種を指定して伐採を制限したり禁止すること。山林そのものを指定することを留山 (とめやま)という。江戸時代に発達した留木留山制度は封建領主が用材確保の林業的目的などから行なったもの。留木留山の伐採は藩用、公共用のほか許されないのが普通で、禁を犯した者は磔(はりつけ)、村追放、入牢、過料などの刑が科せられた。
※2:飢饉等の影響で困窮し田畑を売り払う農民が増えた。 幕府は、農民が没落すると年貢の確保が難しくなるため、それを防ぐ目的で「田畑永代売買禁止令」を発布した。
参照:「吉野林業と優良材 (岩水豊 著)」
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吉野林業の発展拡大の理由のひとつとして、江戸時代の封建制度の廃止が詳しく挙げられたものを見るのは初めてだったかもしれません。確かにこのような大変革が起らなければ吉野林業の爆発的な隆盛はなかったことでしょう。