超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2022.1.2
■「吉野林業と優良材」に学ぶ (18) 吉野林業の発展と林業制度①
-借地林制度-
吉野林業の発展と切り離して考えることができないものに借地林制度と山守制度がある。これらの制度は元禄年間(1688-1704年)前後に発生したもので、吉野地方独創のものであり、かつ今日の吉野林業の発展に大きな影響を及ぼした。
まず借地林制度から見ていくことにしよう。
吉野川上地方で木材搬出が始まったのは太閤秀吉の時代と言われており、木材搬出関係の材木商の手により大阪方面に回送され取引されるに至って、木材生産が次第に企業として成立していく。当時、伐採の対象となっていた森林は天然林であり、伐採が進むにしたがって各所で伐跡地が拡大し、造林の必要に迫られることになる。
秀吉の大阪城等城郭用材として伐出の対象とされ、最も早く借地林制度が発生した最奥地の川上村は、当時交通の便悪く、耕作地も狭い状況で、地元住民は大部分を林産物や山稼ぎによって生活を営んでいた。
しかし、木材資源(天然林)の減少によって、毎年の貢租支払いにも困窮する状況に置かれ、さらには地元民によって行われていた造林を維持することすら困難になってきたのである。
それにより、吉野川下流上市方面の商業資本、あるいは大和平野の地主資本に依存することとなり、当時、森林の大部分は村の総有地として管理されていたが、村としてはやむなく所有権を確保しながら林地の使用収益金を売却し、その資金をもって貢租支払いを行い、あるいは生活を維持する方法を取ったのである。
これが借地林制度の始まりである。
参照:「吉野林業と優良材 (岩水豊 著)」
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100年を超え、200年、300年生といった人工林を多く保有する川上村の吉野林業の、今がある要因のひとつとも言える林業制度です。
借地林制度は明治時代には収束しますが、資産と経営が分離されたことで、最盛期の無理な皆伐を逃れ現在の美林が残されたとも言われます。