超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2021.9.15
■「吉野林業と優良材」に学ぶ (10) 吉野地方における人工植林の起り②
延宝七年(1680年)に行われた本田平八郎検地の際には「但し村により桧、雑木山又は小桧、小杉山等種々あり」との記帳があり、惣村 (中世日本における百姓の自治的・地縁的結合による村落形態) 分と明記されており、山林は村持が公認されていた様子である。
これらの記録から推察して、当初の人工植林は焼畑跡か天然林の伐採跡地などの小面積のものだったようである。また造林技術も未だ未熟なものであって、今日のような姿ではなかったと考えられる。
ところが江戸時代に入り、京阪神地区の都市形成のために大阪方面への出材が増大し、かつ上方酒造業が発達するにつれて、享保年間(1716~1735年)には黒滝郷(現在の黒滝村)鳥住で樽丸の製造が始まり、寛文年間(1661~1672年)には銭丸太や洗丸太の製造が起り、木材の価値が高まってきたことから、人工造林はいちだんと進展を遂げた。
参照:「吉野林業と優良材 (岩水豊 著)」
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始まりは小面積で小規模とありますが、現在に至っては川上村のほとんどが吉野杉・吉野桧の人工林に置き換わっています。
約500年の時間が過ぎたとは言え、大阪市とほぼ同面積の山々が人々に開発されたわけですから、沸き起こった需要の凄まじさを感じます。