超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2020.5.1
■「川上村史 通史編」に学ぶ (29) 土倉庄三郎と吉野山の桜
吉野の名所と言えば、吉野山の桜と史跡です。
しかし、明治維新の廃仏毀釈によって蔵王堂信仰は殲滅状態に追い込まれ、吉野山の歴史や文学を訪ねる人影はなく、山はさびれるいっぽうでした。地元ではやむなく桜を切って大阪の商人に売却し、跡地に杉桧を植えることを計画し、その苗の斡旋を土倉庄三郎に依頼しています。
庄三郎は驚き吉野村村長に対し、『日本はいま外国へも開かれ、時勢が回復すれば吉野を訪れる人も増える、桜はかけがえのないものである』と力説し、買上金500円を肩代わりして大阪商人に返金させました。
こうして桜の名木が現在まで伝えられることになったのです。
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝
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かつて、太閤秀吉も徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、伊達政宗ら錚々たる武将と、連歌師、能楽師、茶人ら総勢5000人を連れ訪れた吉野山です。この時も秀吉が雨が続いたことにブチ切れて、吉野山の桜が焼き払われるという危機もありましたが・・・。
色合いや目合いが本当に美しい吉野材なのですが、上品さや高級感を感じてもらえるのは、人々が吉野の桜を連想することにもあるのかなと勝手に想像しています。