超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2020.4.15
■「川上村史 通史編」に学ぶ (22) 土倉庄三郎と奈良公園
奈良公園は明治13年(1880年)の堺県時代に制定されたもので、明治21年(1888年)には若草山、春日山、花山、芳山などが編入されて壮大な面積となり、南側の高円山も国有林となりました。
土倉庄三郎は花山、芳山の約200町歩(1町歩は3000坪、東京ドーム約40個分)について、明治28年(1895年)から十数年に渡って造林を手掛けています。それについて庄三郎は「奈良の地に植林を成功させることは、当地が万人の目につきやすいところから、私の何十何百の講演にも増して、植林の重要性を認識させるに功がある」と話しています。
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝
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古損雑木の伐材、杉桧の定植、その成長後の収入を公園の経営費の基本とするなど、200年の計画を行ったというスケールの大きいものです。庄三郎自身の山林経営面積は約9000町歩なので、容易い内容だったのかもしれませんが・・・。
吉野林業と言えば奈良県南部の吉野のイメージになりますが、奈良県北部の奈良公園にも大きな関係があることを知っていただければ。