超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2020.3.22
■「川上村史 通史編」に学ぶ (16) 土倉庄三郎と自由民権運動
明治維新を成し遂げた藩閥政府が革新的な政治を断行するうちに、しだいに政府専権の弊害が生まれることになります。
そうした風潮の中で、土倉庄三郎は財産を莫大に投じて自由民権運動に没入していきます。
当時の自由民権運動の立て役者は板垣退助です。政府の要職にあったにも関わらず、立憲政治実現のために明治6年野に下り郷里の土佐で立志社を、続いて翌7年1月に愛国公党を結成します。
これに対し政府は取り締まりを強化しますが、板垣は明治11年に農民階級を基盤として愛国社を再編し、全国的に国会開設の運動を展開しました。庄三郎はこの愛国社に巨額の資金を投じており、中枢の経理担当の実力者となり有力幹部とも交渉しています。
明治13年には国会期成同盟と社名は改められて運動の盛り上がりは苛烈なものとなり、いよいよ明治14年には政府内部の大隈重信が国会開設の意見書を提出し、伊藤博文一派を震撼させます。(十四年の政変)
そして、10年後に国会を開設を約束することを約束して(国会開設の勅諭)、政府批判の鎮静化を図るまでとなり、明治14年に近畿自由党が結成されると庄三郎はこれに加わり日本立憲政党新聞にも出資しています。
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝
写真:「板垣退助」像
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吉野林業が生み出した財力が国をも動かしたと考えると、ものすごいことなのですが・・・今となっては吉野林業を守るための「金」を生み出すことさえ厳しい時代になりました。
時代背景や社会情勢はまったく異なりますが、守りの林業から攻めの林業へ変えたいものです。