超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2020.1.25
■「川上村史 通史編」に学ぶ (7) 焼畑造林からはじまった吉野林業
約500年もの前に始まった奈良県川上村の人工造林は、川上村にも広範に存在していた焼畑跡地への造林から始まっています。
焼畑跡地は、葛(くず)・蕨(わらび)・萱(かや)などの採取、炭を焼くなど、当時の川上村民の生活再生産にはとても重要で、15年程度の休閑期間を終えれば食糧生産も可能になります。いくら造林の機運が高まったとはいえ、村民自らの生活基盤を掘り崩すような決断はなぜ行われたのか。
①正徳5年(1715年)の川上村白屋の文書「登尾山一件書」に「杉植村(中略)立山ニ仕弐拾年目ニハ杉丸太長弐間弐間半三間四間迄ニ生長仕者ニ御座候得者銀子ニモ成申候」とあるように、磨丸太をはじめとするような小径木需要の増大で、20年生でも商品化が可能だったため、焼畑跡地休閑期間の積極的利用策として短伐期林業が出発点となった。
②享保13年(1728年)の川上村井戸の文書「乍恐口上書以御願奉申上候」に「私村領内之内字くわこきなへ谷と申所猪鹿猿大分出申ニ付、工作出来不仕候ニ付杉檜ヲ植付修理ヲ致数年相立之上商人手前江売り付御年貢之助足ニ仕来り申候」とあるように、幼齢林の段階で販売できる状態であったことがわかる。すなわち「売るために植える」造林業が登場した。
③林業の発展に伴い、伐採、搬出、皮はぎなどの村民の仕事が創出され植林の推進要因となった。
④新たな焼畑用地が近隣に豊富に存在していたため、跡地への造林を積極的に行うことができた。
これらの条件がそなわっていたことが、吉野林業発展の起因となったようです。
参照:「川上村史 通史編」林業経済編第一章
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吉野林業は、焼畑から始まったとよく耳にしていましたが、銘木を生産するために密植が始まったというわけでないように、造林を行うために焼畑を行ったわけでもないようですね。
その当時のニーズから、様々な事柄が創出されています。
古きを尋ね、新しきを知る。
ぼんやり時代の流れに身を任せず、いまのニーズを敏感に捉えていきたいと思います。